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・東南亜マレーポリネシア系メラネシア系の土着民:祖霊神霊崇拝の探訪見聞 ・自然信仰に関わる珍談、奇談 ・自然信仰全般、特に私が関わるアフリカ土俗死霊崇拝の逸話 ・信仰に関わる人々の生き様など
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21:30:05
当サイト「土俗呪術案内」の項目、「東南アジアヴドゥ呪物の御提案。Thai Vudu Fetish」と「アフリカヴドゥ呪物の御提案」両項目で御紹介する呪物の刷新を図る為、現状空白と成って居ります。

前者は、東南アジアヴドゥと云われるタイ式精霊信仰呪物(THAI VOODOO FETISH)を中心とした、強力な呪物をラインナップする予定です。後者は、ヴドゥの大元である西アフリカのベニン・トーゴ・ガーナ・ブルキナファソに跨るフォン族・エヴェ族、更に少数部族のヴドゥ呪物、且つ、古のシャーマンが作成・活き籠めした呪物と、ヴドゥ独自の霊的処方物を中心にラインナップする予定です。

宜しくお願い申し上げます。

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土俗信仰のフィールドワーク
ニシヤマタケシ
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2016/12/24
02:03:30
中米カリブ・ハイチ共和国の国教、所謂「ヴードゥー教」は、アルファベットで "VOODOO"(ヴードゥー)と表記されますが、実際のところは "VUDU"(ヴドゥ)、または "VODUN"(ヴォドゥン)が、大元で在る西アフリカ・ベニンのフォン族が話す言語、フォン語由来の正しい呼称で御座います。

フォン語で「ヴドゥ」とは自然崇拝(精崇拝)を意味します。自然発生的な民間信仰は全て「ヴードゥー」で有り、日本の神道も、印度のヒンドゥー教もシナの道教も云うに及ばず。至っては、南北アメリカのインディオが崇拝する太陽信仰、私の棲むラオスやお隣シャムのピー信仰、ビルマのナッツ信仰なんぞも全てヴードゥーの範疇、全世界の民族が先達から受け継ぐ信仰は、全てヴードゥーなのです。従って、ハイチのヴードゥー教に於いて、自然崇拝に敢えて「教」を付けるという、おかしな呼称である事は十分御理解頂けたと存じます。

自然崇拝とは、善悪諸共を厳かに受け入れ、且つ、心から尊重し崇拝する姿勢が必須であります。基底に在るのは、森羅万象に宿る神霊を尊び、併せて先達の祖を敬い奉る事です。

失礼千万を覚悟で申し上げますが、世界三大宗教で有る基督教・仏教・回教といった此れらの宗教は、地球上の人を含めた様々なものが安泰を得る為に「宗主」が編み出したものです。経典には尤もな話も多々含まれて居りますが、矢張り人間の遣る事ですから、狡猾なペテンも盛り込まれて居ります。

生きとし生ける者どもの尊厳を解いた上で、創生から過去・現代そして未来に至るまでの成り行きを「神」という大義名分で脅かし、「是是云々の生き方を守れば咎は無し!」と云い切ってしまう。其れが最も鼻につく回教に於いては、回教の規範を乱したり脅かす者に容赦せず、「アラーは偉大なり!」という言葉を唱えながら天誅を加えます。思うに、此の様な大胆な行為に走る其の刹那、連中が心で描く印象は、十中八九、宋主ムハンマドの印象画と存じます。これが基督教徒ならイエスの印象画、仏教徒ならばゴータマの印象画といったところで御座いましょう。決して「神」の御為ではなく、「神」という言葉だけが先走っているのです。

更に失礼千万を御赦し願いますが、信者の大半が愚衆で有るが為に、入信の発端も周囲の親族や友人が信仰して居るからとか、有名人や大物が傾倒して居るとか、筋金入りの信者から説法を受け傾倒したとか、能々理由を吟味すれば浅ましい限り。強いて申せば、歌や演技といった芸事にて持て囃される、小便臭い少女の単独または団体の女芸能人。美男を売り物にして、歌や演技で持て囃され男色臭を漂わせる男芸能人。熱狂する者共と対象、其の互いの関係性は胡散臭さ満載といった印象で、三大宗教の教祖と信者という相対関係は非常に相通じます。

更なる諸悪として、基督教は聖書、回教はクルアン、仏教は経典、此れらは読むと尤もな事を綴って居るが、宋主や其の弟子共が得た世界観や人生訓というだけで、哲学と何ら変わり無し。信者を増やしたいが為、エンターテインメント性は云うまでも無く満載で有り、編纂者の吹かしも満載です。参考にするぐらいは良いが、のめり込むほどの価値は見出せません。

世界三大宗教の云う「神」の話に戻りますが、彼らの信仰する「神」の為に取る行為は、詰まるところ、此の世に生きる全ての獣が潜在的に危惧しながらも畏れ奉る「至高」の思し召しで有り、其れを率先して実行する者は、単に淘汰されただけ、という自然信仰の道理を地で行く弱肉強食で、其の道理を体現した話に過ぎません。「アラーは偉大」「全能なる神」「慈悲深い仏」、宋主や其の弟子共は「自然信仰の至高」の側面だけを捉え、信者の脳裏へ強引に埋め込む。

哀れな信者(自業自得ですが・・)は、自然信仰の至高の掌で転がされて居るとも知らず、「ムハンマドが云うアラーの御為に身を捧げ、且つ、身体損傷無く死ねば浄土に行ける」と心底信じ、挙げ句、弱肉強食の「弱」の貧乏籤を引いて、此の世から抹消されてしまう……というナンセンスな話で御座います。

双六を例に取りましょう。双六の目的は「上がり」に到達する事。勿論、一等で上がる事が最良な結果ですが、最悪な結果は途中棄権です。各々感性を活かして考えて頂きましょう。途中棄権とは、競技中に具合が悪く成ったとか、「一回休み」を連発したりしてゲームそのものに嫌気が差し、中途で放り出すことを言います。健康上の理由ではやむない話とて、これも棄権に変わり有りません。

何故なら正面切って向かう者は、此れらの事象を快く感じないと思います。本来、生きる事は己の力で、常に障壁を打開し切り開き生を全うする事が道理で、自然信仰の至高が最も良しとする定型。従って、途中棄権は「生きる事を放棄」するに値する行為なのです。

たかが遊戯で途中棄権した者を「弱者」と決め付ける自体、下らぬ例えと思われる方が大半と存じます。ですが「双六」というのは紀元以前から世界各地に存在する遊戯で、大元は「彼の世」に至るまでの姿勢を、遊戯を介して刷り込む方策で有った、と云われて居ります。ただの遊びではなく、遊戯を通じて個々の運命や宿命を計る的な道具なのです。

順風満帆に進む場合もあれば、阻みに遭って後退を強いられるなど、不運な者が煮え湯を吞まされるといった形態。正に、己の背後に居るは良質か否か? 更に、人生に立ち向かうに必須な「岐路を司る神霊」や「五感を司る神霊」や「闘争を司る神霊」が、正常に居り作用してるか否かが解ります。

弱きが強いものに遣られ、淘汰されてしまうのは、如何様にしても逃れられない此の世の道理。古の時代、性質的・肉体的にそぐわぬ個体は、容赦無く間引かれて参りました。現代に於いては、其の様な行為が畜生と非難され、矢鱈と人道主義を全面に出し、弱者を救う事こそ正義とされて居ります。が、どれだけ弱者を救済しても、辻褄合わせの天変地異が頻発したり、悪性ウィルスが蔓延するなぞ、細やかな努力が差し引き零かマイナスに齎す作用が必ず起こるのです。戦争やテロの大惨事、此れも辻褄合わせ同様の作用を齎すもので御座います。自然信仰の至高は、何事も限度を越えぬ様、摂理に値しないものから容赦無く淘汰するわけですが、あるときは強風に逆らわぬ葦の様に、またあるときは岩山の様に振る舞う。そのような者たちにこそ手を差し伸べるのです。もっと簡易に申せば、「調子よく振る舞え」という事なのです。

単に調子よく振る舞うならば、馬鹿に成れば良いだけの事で有ります。罷り間違えば、此の行為が仇と成ってドツボに嵌り淘汰されてしまう、元の木阿弥という体たらく。詰まるところ四面楚歌、泣くに泣けぬ御話であります。額面通りに実行する様な事は、全速力で突進するだけのイボイノシシで、終いには猛獣に残虐な喰われ方をしてしまう様なもの。手厳しい至高の意向に合わせ、己が順風満帆に生を謳歌するには、如何様な振る舞いが必須なのか?を先に考え、其れを基盤として「調子よく振る舞う」必要が有ります。イボイノシシ野郎に成らぬ為にも能々気を付け、下記する内容を参考にされて頂きたい所存です。

自然信仰というのは、日頃から己の周囲で起こり得る事象・物象に対し、些細な事でも敏感に成る事。手始めは何が何だか全く理解出来ず、こんな面倒臭い事にアンテナ張るのは阿保らしい──と鼻白む事でしょう。其れを根気能く継続し、己のオツムで吟味する癖を付ける事。例えば、己の一発放いた屁が異常に臭かったとか、美形で有るのに蓋を開けたら悪臭放つ陰部を持つ女が居ったとか、満員電車で女の尻が股間に密着してそそり立ってしまったとか、獣の交尾を連日目にするが何故か? なぞ……。糞下らぬ日常の事象でも阿保らしいと放らず、吟味してみる事。御題目が簡易な分、奥は深淵なので個々が根詰めて対峙する必要が有るのです。此れの繰り返しが、肉体を持つ人を含めた此の世の生き物と、此の世と並行して存在する彼の世の先達の霊や、あらゆる事象・物象を司る神霊、至っては統括する至高の真意を知り得る、崇高な行いと成る事を御知り置き頂ければ幸いで御座います。

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00:42:00
皆様方は「霊性」という意味合いを把握し乍らも、実質「霊性」の作用というものは如何なるものか腹から把握されて居られる方は皆無に近いと存じます。

人間同士は言葉で連帯を確認し合ったり、同好の輩と交り合い和気あいあいとする事で、強固な連帯で有ると思うわけですが、大半が裏返しの関係ばかりなのです。其の点、言葉という通信手段を持たぬ獣は、人間なぞ足元にも及ばぬ感覚の方策を備えて居ります。「直感」「五感」「第六感」此の三つの感覚が研ぎ澄まされて居るのです。勿論、人も獣の一種ですから前述の感覚は備えて居りますが、言葉という手段を使う方が簡易な為に、ほぼ退化してしまって居るのです。

友人関係・男女関係・親子関係なぞ、人の関わる関係が絶頂で在ったにも関わらず、行き成り嫌悪な関係に成ったりするのは、感覚を無視した軽い言葉の関係に因るものです。賢明な方なら、云わずともお解りと存じます。

人の関係は、大半が間違った関係を築いて居る為に、最後は破綻する運命に有ります。何故かというと、言葉というものに頼り切りで「あの人は確実に、こう云ったから間違いない」とか「あの人の信念を聞いたけど強固足るものだ」なぞ・・・。男女関係に至っては「彼女(または彼)の話は誠実さに溢れて居る」とか「いろいろ話したが、あれだけの女(または男)と出会うには、砂浜で一本の針を探すより難しい」なぞなぞ・・・。更に親子関係で云うと「うちの息子(または娘)は、親の話を能く聞き何事も忠実に守る」とか「どれだけ息子(または娘)を愛して居るか?私の対応や言葉で能く理解して居る」なぞと云います。

上述の例は、全て言葉に頼る甚だしく誤った例で有り、言葉によって自分自身を納得させただけの戯言なのです。そんな言葉は、霊性にひとつも刺激を与えて居りませんし、私が断言出来る事は逆の作用を起こして居ると云い切れます・・。単なる我欲と私物化の権化の言葉で御座います。

結構、此の類の方が特に恋愛関係で相談されて参りますが、案の定、霊的なものは信用して居ない。口では「私は信じます」と云い切りますが、霊性の欠片が本人と会わなくとも感じ取れるわけです。従って、「本当に霊的なものへ敬意をはらい信頼できますか?」と問い返すと、「此れを機に信頼を置くように努力します。」という答えが十中八九返って参ります。要するに、どう努力しても敬意なぞ持つことは死ぬまで有り得ないと存じます。

呪術というものには、ベースが有り其れは自然崇拝(精霊崇拝・祖霊崇拝)という基盤が有ります。信仰を奉らずとも、自然の摂理というものを厳かに尊重する精神は基本中の基本であります。其れが出来ない人物は、呪術なぞに頼らぬべきと私は思います。

能く「無病息災」「家内安全」なぞと、寺社仏閣に関わる聖職者(?)が、護符や祈祷なんぞを授けます・・。其れを授受する為に、わざわざ遠方から其処へ其の為だけに赴く方が多々居られると存じます。間違い無く、粗十割の方々は単に其処が神社だから、若しくは御寺だからという理由や、或る人に良いと云われ参ったと云う・・。全く、自分自身の感性を使わず、当たり前の現実的理由だけで訪れる。例えて云えば、賭博の一環で有る籤引きと同じ事で有り、時間の無駄以外の何物でも御座いません。此れを信心と思う方は、別に個々の自由ですから一生続けて頂いて構わないのですが、死ぬまで「今よりも、良い未来を信じて」なぞと思いながら、結句、最後の時を迎える事に成るでしょう。私が申し上げたいのは、イの一番に己の霊的環境は如何なものか?と吟味する事、そして霊的なものは他人の言葉に左右されず、自身の霊的感性に頼る癖をつける事。己が迎えた窮地や低迷の要因を、霊的な面からも吟味する方法も身に付ける事です。要するに、此れが自然の摂理を重んじる姿勢で有り、至っては信仰に繋がるのです。アフリカ系の術師は、其処に重きを置く為に、其の人物の霊的環境を考えず、所謂「御守り」を授受したり「祈祷」は致しません。

少々手厳しい事を申し上げましたが、呪術師やネクロマンサーというものを、間違った尺度で捉える方が多く、イコールあの世の威力を無尽に操作出来ると勘違いしておられるからです。そもそも呪術師というのは、あの世の威力を借りるために作法を備えた者。ネクロマンサーは、先達の霊と折り合いをつけ助力を乞う法力を得た者で、両者とも簡易に申せば仲介者なのです。仰々しい着物や道具を持ち、如何にも人間離れしたような態度や言動を取る者は、呪術師でもネクロマンサーでもございません。強いて申せば、サーカスの道化師と同等です。術師以前に信仰に経験で有る事、己が行えば完全無欠なぞほざく輩は、ひとつも力を備えておりません。何故なら、作用を齎すのは神霊や霊で有る事を覚え置き願います。

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23:20:00
キューバという国に十年弱棲み、様々な経緯を経た結果、西南アフリカに広く分布するコンゴ系バントゥ族の奴隷が齎した祖霊精霊信仰に関わり、一九八八年からですので今年で二十八年の歳月が経過致しました。キューバ人はというと、多数派のナイジェリア・ヨルバ族の奴隷が齎した信仰サンテリアやイファを重んじる事から、皆々サンテリアかイファの道を歩む為に躍起に成ります。

私のバントゥ系のパーロ信仰は少数派で有り、更に其の中でもKIMBISA(キンビサ)・BRILLUMBA(ブリジュンバ)・MAYOMBE(マヨンべ)と派が分かれて居り、KIMBISA(キンビサ)は基督教が混交された派、BRILLUMBA(ブリジュンバ)は別名頭蓋骨派と呼称され、契約した霊の遺骨で有る頭蓋骨と大腿骨を、後生身近に置き生活する、強いて申せば祖霊に焦点を中てた派で御座います。MAYOMBE(マヨンべ)はブリジュンバ派の延長線で有り、何れかというと孤高にて邪術を駆使し乍ら一生を送る生活を致します。簡易に云えば、キンビサは多数派・ブリジュンバは少数派・マヨンべは極めて少数派という感じです。変な云い回しですが、私は少数派の中の少数派を実践してきたわけです。

キューバの首都ハバナ郊外に在るグァナバコア管区は、パーロ信仰の謂わばメッカで有るが為、古の時代から町全体が信仰に協力する様な形態で形成されて参りました。表向き養豚や養鶏を営む場は、何故か他の獣も豊富に揃えて居る。フティア(大鼠)・ハゲワシ・梟・七面鳥・山羊・羊なぞ、欲すればあらゆる獣を短時間で用意する。また、密接な動物園との繋がりも有り、死んだ大型獣の骨や皮も同様に用意する。要するに、神霊や霊に供犠として供する生血の需要が多々有る為に、他の地域とは異にする業務形態を採って居るのです。

次に、墓所も此れまた奇妙な形態を取って居ります。グァナバコアの墓地は信仰者が墓守をして居る為に、僧または弟子が向かえば何時でも墓を暴いて死者の遺骨を持ち出し出来るのです。無縁・有縁は関係御座いません。親族が健在で在っても、グァナバコアの墓所に埋まった死骸は、今現在生きる人物と霊が契約を欲した場合、親族は異を唱える事をしないのが暗黙の了解です。霊の意向を尊重するわけで有ります。キューバ在住時、私のゴッドファーザーの弟子及び助手として、頻繁に墓所を訪れては墓暴きをして参りました。スコップを使うのも手慣れたもので、上手い事遺骨に傷付けず掘り出す事が出来る様に成りました。

キューバは社会主義国家で、宗教は御法度だろう?其れ以前の問題として、野蛮なアフリカの信仰なぞ、政府が許さんだろう?」

と疑問に思う方も多々居るかと存じます。然り、全く持って「宗教はアヘン」と切り捨てたソビエト式社会主義の国です。表向きは廃神主義です。ただ、其れは信者の集う場が有る基督教に限り、共産革命後は徹底的に廃止に追い込みました。同じく少数ですが、アラブ系移民の回教も廃止に追い込まれました。しかし、アフリカ系の信仰は、アフロ・キューバ文化とし、キューバの象徴と捉えたのです。アフロ系の音楽や踊りとして残し、芸術というジャンルに組み込みましたが、其れは意図的なもので、国家がアフロ信仰の存続を御目溢したのです。実際、国家上層部の人物が多々アフロ信仰に関わって居ります。

当時の私は、折からのバブル景気の影響からか、日本から着始めた団体旅行者や、取材目的の記者やカメラマンなぞの通訳やガイドをした結果、濡れ手に粟の金銭を手にする様に成りました。余裕が出始めた己のオツムは、隣国のヴドゥを国教とするハイチは如何なるもんだろうか?其の隣のバントゥ系奴隷の多かったドミニカ共和国のアフロ信仰は如何なるもんだろうか?と考える様に成ったのです。更に飛躍し、パーロ信仰の関係者から聞いた、私の信仰するパーロ・ブリジュンバ派の延長線で、西南アフリカに位置するアンゴラ国に在るマヨンべ山と其の周囲のジャングルを聖地とするマヨンべ派にも思いを馳せる様に成ってしまいました。

今思えば、無作為にアフリカ繋がりと捉える思考で有りましたが、善は急げ方式で有る私の資質は、決めたが吉日という感じで其の数日後には目的地に向かって居りました。

当時、ハバナから比較的簡易に行けたドミニカ共和国へ向かいました。此処では端折りますが、私はドミニカ共和国とは無縁では無いのです。そんな感じで、ドミニカを皮切りに同じ信仰を目的とするバントゥの末裔探しを始めました。が、若かった私は全身生殖器でも有り、街を行く全身プリプリ女にばかり目が行ってしまい、来る日も来る日も混血美人の実践フィールドワークと成ってしまったのです。同じく、イスパニョーラ島をドミニカと二分するハイチも陸路で参りましたが、結果は同様で此方は別名アフリカの飛び地と云われる程、黒人だらけです。しかし、話す言葉はパトゥワ語というクレオール仏語。何か滑らかな上に、がつがつした感じがキューバやドミニカより無い。そんな感じが新鮮で、ヴドゥの事も忘れ黒色美人を堪能してしまったのです。

キューバから大枚叩いて向かったアフリカのアンゴラも同様でした。此方は少々不運も重なったのです。首都ルアンダと、或る地域を占有する当時の政権は、首都に限って社会主義に邁進して居り、見た目は平穏を保って居りましたが、ソ連やキューバの駐留軍が常に監視する、未だ戒厳令下の状態で有り、私が行きたかったバコンゴ族の居るパーロ・マヨンべの聖地マヨンべ山の地域は、アメ公と南アフリカが支援する反政府軍の地域で在った為に行けず終い。従って、此処アンゴラでも褐色のプリプリをフィールドワークする羽目と成ってしまいました。

当時三国を巡り、本来の目的で有る信仰のフィールドワークをしたのが三割、後七割は女体のフィールドワークをしてしまいました。そんな態たらくでキューバに戻り、まずはゴッドアンクル(聖なる叔父とでも申しましょうか・・)へ顛末を話すと・・・。

「いやあ、良い体験したじゃないか!アフリカの血が混じった女を抱いたんだろう?きっちり生で放出したんだろう?それなら種を残したし、相手が妊娠しなくとも御前の要素が相手の肉体に残り、其の女が別の男で妊娠しても御前の要素が少しでも赤子に入り込むんだ!此れもフィールドワークの一環で、御前は実践にて自然信仰の掟の一部を実行した事に成る!」

と絶賛されたのです・・・。

其の後、私のゴッドファーザーからも顛末を問われ、渋々乍ら話をしたところ、ゴッドファーザーは冷静な表情を保ち乍ら、訥々と話を切り出しました。

「医師からの受け売りだが・・・。蛋白質というのは、分解して体外に放出出来ないと云って居った。山羊や牛なんぞの偶蹄類の脳味噌を好んで喰う輩がどうなるか知って居るか?動作や表情、更に言動までが鈍く成り、性質が偶蹄類の様な態と化す。其れと同じで、御前が精魂込めた射精は相手の女の体内にスペルマとして残るだけで無く、御前の気魄として残る。向後、其の女達が孕んだ赤子は、御前の遺伝子を取り込んで行く・・。単に受精して、其れが赤子に成ると云う常識で交尾を考えるな。強靭な先達の霊と契約した御前の精子は、そんじょ其処らの男共の精子と格が違う。そして其れは、契約した霊が望んだ方向性でも有る。今の御前は、強靭な種を撒いて強靭な人間を後世に残す事が出来る体で在る事を忘れるな。」

と更なる絶賛をされてしまいました。御覧に成った諸兄は、なんと馬鹿げた話と鼻白む方が多々居るかもしれません・・。正直、当時の私は、信仰より先に女に目が行ってしまい、フィールドワークどころでは御座いませんでした。しかし、本能に忠実に邁進する事も自然信仰の一環なのです。

此れぞ正に「瓢箪から駒」。其れから年月を重ね、信仰に忠実(?)に生きる内、瓢箪なぞ元から無く常に駒だけを持ったり得たりする事に成るなぞ、考えも及ばなかった青き歳頃の私で御座いました。

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2016/06/20
17:34:13
改め申し上げるまでも無く、賢明な諸兄なら御判りの事と存じますが「人を呪わば穴二つ」の意味合い。此れが意味する処は、他を貶める事は他の墓穴のみで無く、己の墓穴も用意して置け・・。己が他を貶める事で得る充足感は、ロハで無く相応もしくは以上の不運不遇で償って頂くよ、という彼の世からの御達しで御座います。此の世は能く出来て居り、何事も偏らず最終的には調和する形態をとるものです。亜細亜的な見地で云えば陰陽の法則であります。現実面に於いても霊性面に於いても同様です。

軽く打ち付けたり、軽い外傷に見舞われ大層に泣く子を案ずる母親が、所謂「おまじない」という名分で「痛いの痛いの飛んでけえ・・」なぞと唱えたり致します。勿論、はなから気休めと考え実行して居るかと存じます。此の「おまじない」と平仮名に書く事に依って、方策を「呪い」「呪術」「呪法」「念術」「法力」と区別する事で、「闇」と関連せず何も代償の掛からぬ事、と無意識に捉え実行して居るのです。ですが、此れは大きな間違いで、無意識に行う事でも子を思う心は改善を心底願う念と成り、其れを聞きつけた最初の霊が改善を促します。彼の世の事を何も知らぬ人物が行うわけですから、其の呪文と念は不特定多数の霊に訴えかける事に成ります。取引材料(供犠・供物)なんぞに思いも及ばず、無しの実践と相成ります。更に、作用する相手との通信手段も無いどころか知らないでしょう・・。また、其のような事に介入出来る霊は九割方が悪意を持った霊であります。往々にして現世に執着する霊は、肉体に己の魂が据わって居った頃が忘れられず、狭間を彷徨い続けて居るが為に、現世に生きる肉体に対し常に関わる方策を探して居るのです。云う迄も無く、其の様な低質な霊ですから、善意で接する事なぞ毛頭御座いません。

簡易な呪文を唱え取引材料を供えず行った場合、其の見返りは全て運気の低下で相殺されます。大したハプニングでも無いのに、単に驚愕した子を泣き止ませたいが為に発した「おまじない」の言葉が、相応以上の代償を伴う事に成ります。其の代償も暗黙取引に応じた霊の一存ですから、倍で済む事は無い上に、支払期日(?)は最も霊が満足を得れる事象で相殺と成るのです。実践した事が全く記憶から無く成る頃合いかと存じます。

生業から呪術を行ったり、呪物を作成したりする者は、慢性的に前述した見返りに苛まれます。不幸中の幸いとして、取引材料を熟知して供出出来る事、欲する品目を通信に依って把握し供える事が出来るのです。要するに、予め取引対象が定められて居る。現実的に例えれば、馴染みの店にて物品を購入する為、多めの手付金を支払い残金を先延ばしで支払う事に類似して居ります。当然、見返りとして得る代償は二割もしくは三割で済むわけです。成就を望む内容の相応以下となります。付け加えますが、生業で行う者は事象物象を司る霊はともかく、作用する霊と契約または配下に置き委ねるか使役して居ります。其れでも全て免れる事は不可能というのが実態です。

十年ほど前、不摂生から痛風を患い数年苦しんだのですが、大元となる高脂血症や高血圧や血糖値なぞを医師の処方に従い実行した結果、全て正常値と成り痛風に因る激しい痛みに苛まれる事は無く成りました。如何なる体勢でも激烈な痛みを伴う痛風は不快を通り越し、出来るものなら切断してでも治癒を望むぐらいの気持ちにさせられるものです。

其れとは別に、何時の頃からか両足に不明の痛みや腫れが起こる様になりました。程度の差こそ有れ歩行に困難を伴います。安静にして居れば、さほど痛みは感じませんが激痛を伴う為に歩行は出来ません。此れも病院で徹底的に検査しましたが、全く原因が解らないのです。奇妙な事は、気休め的に飲んだ薬が数分で作用し、嘘の様に快癒してしまう事。反面、同様の薬を飲んでも全く作用せず、深々と重い痛みと腫れが継続したりもします。

数年ぶりに南米ボリビアを訪れた際、先地の原住インディオのシャーマンに不明の痛みや腫れを話したところ、インディオのクランデーロ(霊療術師)は十中八九同様の症状に苛まれて居るとの事。其れも此れも、霊的な処方で病魔を退散させる事が生業で有るが為、薬草の茂る密林を司る神霊、更に各々薬草に据わる霊への代償を己の体で支払う義務が有るとの事。そこで「何か草木を多用して居ないか?」と問われた次第です。私が関わる西アフリカ・バントゥーの伝統信仰は、奴隷の渡ったキューバにて俗称「パーロ信仰」と呼称されます。パーロとはスペイン語で木を意味致します。此の信仰の呪法に於いて、草木は切り離させないアイテムと成って居り、草木を調合する事を主体に、其れらを燻したり焼いたり蒸したり、若しくは現物のまま使用して、あらゆる呪法を行うのです。此の様に思うところ有り、改め合点を覚えた次第ですが、関わる限り如何様にも対処法の無い症状であるという事。そして一生付き合っていかなければならない不快な疾患で御座います。

以前、随想として綴らせて頂いた当地ラオスの死霊使い呪術師。彼らは一様に不具に近い身体、中には脳も患って居る方も居りました。長年に渡る霊的な実践に因り、己の身体をもって代償とした証ですが、生業で有る事から他人の要望も満たした結果でもあるのです。死に関連する呪術を常々実践して居る術師は、前述した様に様々な見返りを受けた結果、生ける屍の様な容姿と成ってしまうのです。

一般の方が安易に行う「おまじない」。平仮名というのは、どうして此処まで魔法的な表現と成るのか?其処ら辺で、飴玉を買う様な感覚で実践させてしまう作用が有るのです。生業として居る死霊使い呪術師でも、「呪い」を実践した見返りは二割か三割に止めるのが精一杯であり、見返りを回避する事は全く持って不可能なのです。

念は当然の事、熱情を籠めた他者への憎悪。「死ね」「くたばれ」「ぶっ殺して遣る」なぞなぞ、言葉通りに行かなくとも咄嗟に聞いた不特定の霊が作用し、多かれ少なかれ不運を相手に齎します。捌け口として発する罵りは、相手に対し歩行中段差に躓いて扱けたり、公共の場で居眠りをして涎垂らし鼾かいて寝るなぞ、到底発した言葉に到達しない仕返しを齎しますが、低質な霊は此の程度の仕返しを積算して行き、積もり積もったところで、其の本人に対して見返りの不運を齎します。積算された代償は、不慮の事故や不治の病、果ては死も有り得ます。小狡い話ですが、常々天に唾を吐く癖の付いた方々は、改め習慣と成った癖を省みるべきかと存じます。そうは云っても世の中、上手くいかないと思います。不快な人物と相対し、爾後、鬱積した感情として罵詈は付きものです。

最後に、少々緩和する方策を記させて頂きます。何処にでも有る十字路、道路の大小は問いません。飴なぞの小さな菓子を三個もしくは七個、紙に包んで四つ角の何れかに置く。其の際、他者へ気付かれない様に置いて下さい。飴で無くとも、一円玉(一の付く外国通貨でも良し)三枚か七枚でも結構です。重複しますが、飽く迄も緩和です。悪口吐いたら遣るの繰り返しとなります。ただ、遣らないよりは遣った方が得策と存じます。

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