2010/03/03
00:46:55
「イソップ寓話」「マハーバーラタ」「易経」この三つに共通する事は、自然信仰に関わる事、人の関わる行為の成り行きそして教訓です。マイナーですが、当方の関わった西アフリカの自然信仰には、オドゥという三百数十種に及ぶ格言と神話(どちらかというとイソップ的な教訓)が有ります。このように、ギリシャ古代信仰・バラモン信仰(後のヒンドゥー教)・中国古代信仰(後の陰陽や道教)は、人の世で起こる事を全て網羅しているのです。易経においては、易を把握したものは占う必要無しと断言。マハーバーラタに至っては、ここ(マハーバーラタに)無いものは無しと断言しています。然るに数十万種に及ぶ人の世の叙事詩は他を圧倒しています。イソップは言うまでも無く、日本人を問わず、誰でも知っている教訓としてこの世に存在しています。しかし、全く実に成っていないから残念でなりません。
いにしえの素晴らしい教訓がこれだけ広まり、且つ、数千年の時を越えて書物になり残されているにも係らず、この世はトンチンカンな悩みを抱えたり、刹那的な行為に走ったりする人々が多いという事に疑問を感じます。国家も一個人も上辺だけの生き方で行き詰まり、子供でも解かるような問題でオロオロしている現実は見ていられません。特に地位のある人々が、概ねこのような常識を知っていながらも、当たり前の常識に躓き原因が判らないと血迷う事に辟易とします。かつてのオウムのような、つまらぬ集団に感化されるのも霊的な精神が全く築かれていない証明です。精神・心を肥やすのは、実は難しくない事であるのに、肥やそうとしない現実がそこに有るだけなのです。その時だけ感心し、事後は知らぬ存ぜぬが今の世の中、馬鹿らしくなります。
いにしえの素晴らしい教訓がこれだけ広まり、且つ、数千年の時を越えて書物になり残されているにも係らず、この世はトンチンカンな悩みを抱えたり、刹那的な行為に走ったりする人々が多いという事に疑問を感じます。国家も一個人も上辺だけの生き方で行き詰まり、子供でも解かるような問題でオロオロしている現実は見ていられません。特に地位のある人々が、概ねこのような常識を知っていながらも、当たり前の常識に躓き原因が判らないと血迷う事に辟易とします。かつてのオウムのような、つまらぬ集団に感化されるのも霊的な精神が全く築かれていない証明です。精神・心を肥やすのは、実は難しくない事であるのに、肥やそうとしない現実がそこに有るだけなのです。その時だけ感心し、事後は知らぬ存ぜぬが今の世の中、馬鹿らしくなります。
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